※本ページはプロモーションが含まれています アスリート

栗永遼のwiki風経歴と学歴!プロゴルファーを断念→キャディで大成功&結婚も!

プロゴルファーを夢見ていたものの、思わぬ挫折を経験し、その後キャディとして活躍するようになった栗永遼さん。

彼のこれまでの経歴や学歴、キャディ転身のきっかけ、さらに支え続けた選手との結婚まで、気になることがたくさんありますよね。

今回は、彼のゴルフ人生の歩みや成功の秘訣を徹底調査しました!

栗永遼のwiki風経歴

  • 名前:栗永 遼(くりなが りょう)
  • 生年月日:1995年3月20日(29歳 ※2024年現在)
  • 出身地:香川県
  • 身長:166cm
  • 血液型:AB型
  • 学歴
    • 香川西高等学校卒業
    • 日本体育大学体育学部(中退)
  • 職業:プロキャディ、ゴルフインストラクター
  • 所属:フリー
  • ゴルフを始めた年齢:6歳
  • ゴルフを始めたきっかけ:祖父の勧め
  • 得意クラブ:サンドウェッジ
  • ドライバー平均飛距離:260ヤード
  • ベストスコア:65(屋島ゴルフクラブ)
  • 目標とする人:片山晋呉
  • プロキャディ転身:2019年~
  • 初優勝キャディ経験
    • 2019年 CATレディース(淺井咲希)
    • 2022年 ニチレイレディス(尾関彩美悠)
  • キャディを務めた主な選手
    • 片山晋呉
    • 稲森佑貴
    • 柏原明日架
    • 淺井咲希
    • 石井理緒
    • 大西葵
    • 大里桃子
    • 香妻陣一朗
  • その他の活動
    • ゴルフアカデミーでのインストラクター経験
    • YouTubeなどでゴルフに関する情報発信
    • 若手キャディの育成やキャディ業界の認知拡大に取り組む
  • 結婚:2023年1月にプロゴルファー・淺井咲希と入籍
  • 子供:2023年6月に第1子(男児)誕生
  • 趣味:競馬観戦
  • 好きな競走馬:ディープインパクト、コントレイル
  • 座右の銘:「感謝と恩返し」

栗永遼さんは1995年3月20日生まれのプロキャディです。

香川県出身で、ゴルフを始めたのは6歳のとき。祖父の勧めがきっかけだったそうです。

プロゴルファーを目指していましたが、大学時代にドライバーイップスを発症。

これを機に、プロゴルファーの道を断念し、キャディとしての道を歩み始めました。

プロキャディとしての活動を本格的にスタートさせたのは2019年のこと。

片山晋呉選手や稲森佑貴選手、柏原明日架選手、淺井咲希選手など、多くのプロ選手をサポートしてきました。

特に2019年のCATレディースでは、淺井咲希選手とともにツアー初優勝を経験。

この試合は栗永さんにとってもキャディとしての大きな転機となりました。

現在は、プロキャディとして活動する傍ら、後進の指導やゴルフ業界の発展にも力を注いでいます。

「プロキャディ」という職業の認知拡大を目指し、SNSやメディアを通じて情報発信も積極的に行っています。

栗永遼の学歴

それでは、栗永遼さんの学歴について見ていきましょう!

ゴルフ一筋の人生を歩んできた栗永さんですが、その成長の軌跡にはどんなエピソードがあるのでしょうか?

幼少期からの努力や挫折、そして挑戦を交えながら、彼の学生時代を振り返っていきます!

出身中学校

栗永遼さんの出身中学校についての詳細な情報は公表されていません。

しかし、香川県出身であることから、以下の中学校に通っていた可能性が考えられます。

  • 高松市立龍雲中学校
  • 高松市立国分寺中学校
  • さぬき市立志度中学校

栗永さんは6歳でゴルフを始めていますが、本格的に競技として打ち込むようになったのは中学時代だったようです。

すでに全国レベルの大会にも出場しており、2011年には香川県アマチュアゴルフ選手権で5位という好成績を収めています。

中学時代に県大会で5位に入るって、普通に考えて相当すごいですよね!

この時点で「将来プロになるんじゃないか?」と期待されていたのも納得です。

ちなみに、栗永さんがゴルフを始めるきっかけとなったのは、祖父の勧め

当初は遊び感覚でやっていたそうですが、みるみるうちに才能を発揮し、いつの間にか大会に出るようになっていたとか。

こういう話を聞くと、やっぱり「天才は幼い頃から違うな…」と感じてしまいますね。

出身高校

栗永さんは香川県の香川西高等学校に進学しました。

この高校はスポーツ強豪校としても知られ、ゴルフ部も全国レベルの実力を誇る名門です。

高校時代の栗永さんは、まさに「成長期」。

全国高等学校ゴルフ選手権で12位、四国高等学校ゴルフ選手権では3位という輝かしい成績を収めています。

高校時代の成績だけを見れば、

「このままプロゴルファーになる未来しかない!」

と思われていたことでしょう。

また、当時の彼のプレースタイルは「とにかくミスが少ない」というもの。

ドライバーの安定感が抜群で、「OBをほとんど出さない」と言われるほどの正確性を誇っていました。

さらに、当時の彼の目標は「片山晋呉プロのような選手になること」。

憧れの存在に少しでも近づこうと、日々努力を積み重ねていたんですね。

高校時代の栗永さんは、まさに「プロゴルファーを目指す超エリート」そのものでした。

日本体育大学時代とプロゴルファーの夢

高校卒業後、栗永さんは日本体育大学(通称:日体大)に進学。

日体大といえば、スポーツの名門校として有名ですよね。

彼はゴルフ部に所属し、さらなるレベルアップを目指していました。

しかし、ここで彼の人生を大きく変える出来事が起こります。

そう、ドライバーイップスの発症です。

「突然、ドライバーがまともに打てなくなったんです。もともと得意なクラブだったのに、ある日から全然フェアウェイに行かなくなった。それがどんどん悪化して、試合では90台のスコアを出すこともありました。プロを目指すには厳しい現実でしたね」

これ、相当キツイですよね…。

それまで「ドライバーが安定していることが武器」だったのに、いきなりそれが通用しなくなるわけですから。

普通ならパニックになってしまうところですが、彼は「どうすればゴルフの世界で生きていけるのか?」と前向きに考え始めます。

最終的に、大学を中退し、プロゴルファーではなくキャディの道へと進む決断をしました。

親友・稲森佑貴の一言がキャディ転身のきっかけ

栗永さんの人生を大きく変えたのが、大学時代の親友でありプロゴルファーの稲森佑貴選手の言葉でした。

「ドライバーが打てなくなったって話をしたら、佑貴が『キャディやってみたら?』って軽く言ったんですよ。そのときは冗談かなって思ったんですけど、なんかしっくりきて」

親友の何気ない一言が、まさかの転機になるとは…!

プロキャディとしての第一歩

プロゴルファーを目指していた栗永遼さんですが、ドライバーイップスの影響で競技者としての道を断念。

しかし、ゴルフ界を離れることは考えませんでした。

そこで彼が選んだのが「プロキャディ」という新たなフィールドでした。

「キャディという仕事があることは知っていましたが、まさか自分がなるとは思っていなかったですね。でも、稲森(佑貴)から『キャディやってみたら?』と言われたとき、妙にしっくりきたんです」

と栗永さん。

大学を中退後、彼はすぐに行動を起こします。まずは地元・香川県に戻り、キャディとしての基礎を学ぶことに。

選んだのは**「3.7.3ゴルフアカデミー」でした。

ここで3年間、インストラクター兼スポットキャディとして経験を積み、プロキャディになるための準備を整えました。

いきなりツアーキャディになるのは難しいものですが、栗永さんは

「まずはゴルフを教える側としての経験を積むことで、選手の考えを理解できるようになった」

と語っています。

結果として、この期間が彼のキャディ人生の大きな土台になったことは間違いありません。

それでは、ここから具体的に3.7.3ゴルフアカデミー時代について詳しく見ていきましょう!

3.7.3ゴルフアカデミー時代

栗永さんがキャディの道を歩み始めたのは、香川県にある「3.7.3ゴルフアカデミー」。

ここでの3年間は、彼のキャディ人生において非常に重要な期間となりました。

彼はインストラクターとしてゴルフを教えながら、スポットキャディとしてツアーの現場にも関わるという形で経験を積んでいきました。

この時期にゴルフの戦略を学び、選手の心理や試合中の流れを深く理解するようになったそうです。

「選手がどういうプレーをしたいのか、どんな状況で何を考えているのかを理解できるようになったのは、このアカデミーでの経験があったからですね。キャディとして選手を支えるためには、単にバッグを担ぐだけじゃなくて、選手のプレースタイルやメンタルのサポートもできるようにならないといけないんです」

と栗永さん。

3.7.3ゴルフアカデミーでは、多くのプロゴルファーとのつながりもできました。

これが、後に彼がツアーキャディとして活躍するきっかけになったとも言えます。

特に、片山晋呉選手との出会いは大きな転機だったようです。

「キャディを始めて間もない頃、片山晋呉さんと初めてコンビを組ませてもらいました。試合中、片山さんのこだわりやゴルフに対する情熱を間近で感じて、キャディとしての在り方を学びましたね。とにかく細かい!風の向き、グリーンの傾斜、クラブの選択…すべてにおいて妥協しない。『これがトッププロの世界か…』と衝撃を受けたのを覚えています」

こうした経験が、栗永さんのプロキャディとしての実力を高め、ツアーキャディとしての自信につながったのです。

片山晋呉・稲森佑貴・淺井咲希など数々の有名選手を担当

2019年、ついに栗永さんはプロキャディとして本格的にツアーに参戦

この年から、名だたるプロゴルファーたちのキャディを務めるようになります。

【これまでに担当した主な選手】

  • 片山晋呉(日本のレジェンドゴルファー)
  • 稲森佑貴(フェアウェイキープ率の鬼)
  • 柏原明日架(安定感抜群の女子プロ)
  • 淺井咲希(後に結婚することになるパートナー)
  • 石井理緒(プラチナ世代の注目選手)

中でも、片山晋呉選手との仕事は「プロキャディとしての基礎を学ぶ大きな経験だった」と語っています。

「片山さんは本当に細かいんですよ。風向きのチェックは『2時半からの風』とか、めちゃくちゃシビアな情報を求めてくるんです。最初は正直、ついていくのが大変でした(笑)。でも、そのおかげでキャディとしての精度が格段に上がったのは間違いないですね」

また、親友である稲森佑貴選手とは、選手とキャディという関係になってからもお互いに信頼し合う関係を築いています。

「稲森とはずっと一緒にやってきたので、彼のプレースタイルはよく分かってるつもりです。でも、キャディになってからは、『稲森のプレーをもっと引き出すにはどうすればいいか』という視点で関わるようになりました」

さらに、2019年には淺井咲希選手とコンビを組み、見事ツアー初優勝を達成。

この試合が、後の結婚にもつながる重要な出会いだったのです。

2019年、プロキャディとして初優勝!CATレディースの奇跡

2019年8月、女子プロゴルフツアー「CATレディース」で、栗永さんは淺井咲希選手のキャディを務めました。

これが、栗永さんにとってもツアー初優勝となる試合でした。

「正直、最初はまさか優勝できるとは思っていませんでした。でも、淺井プロの集中力が半端じゃなくて。最終日は本当に手に汗握る展開でしたね」

特に、最終ホールのパッティングは、大きなドラマとなりました。

優勝を目前にしながら、プレッシャーでミスが続いてしまったのです。

「選手が本当に緊張しているのが伝わってきて、もう見ているこっちもドキドキでした。でも、彼女が僕に『今週やってきたことを信じて打っていい?』って聞いたんです。その瞬間、『この選手は強くなるな』って確信しました。僕は『絶対入るから、自分を信じてやり切れ!』って声をかけましたね」

結果、見事にカップイン!栗永さんは感極まって涙を流したそうです。

「プロゴルファーにはなれなかったけど、プロゴルファーを優勝させることができた。それが最高に嬉しかったですね」

この優勝がきっかけで、淺井咲希選手とは深い信頼関係を築き、その後、結婚へとつながっていきます。

キャディとして支えた淺井咲希と結婚!

栗永遼さんと淺井咲希選手の関係は、まさに「戦友」から始まりました。

前述の通り、二人が最初にコンビを組んだのは、2019年のCATレディース

この試合がきっかけで、二人の間には強い信頼関係が生まれたようです。

そこから仕事上のパートナーとしてだけでなく、プライベートでも距離が縮まっていきました。

そして、2023年1月に結婚を発表!

このニュースに、多くのゴルフファンが驚いたと同時に、「やっぱり!」という声も多かったとか。

長年コンビを組んできた二人なので、ゴルフ界でも「お似合いのカップル」として話題になりました。

さらに、2023年6月には第一子となる男の子が誕生!

栗永さんはSNSで「父になりました」と報告し、幸せいっぱいの様子が伝わってきました。

ゴルフを通じて出会い、支え合ってきた二人が夫婦になるなんて、まさに運命的ですよね。

しかも、仕事でも最高のパートナー。こういう形で結ばれるのは、本当に素敵です!

今後も、二人三脚でゴルフ界を盛り上げていってほしいですね!

まとめ

栗永遼さんは、 プロゴルファーからキャディへと転身し、成功を収めた異色のキャリア を持つ人物です。

ドライバーイップスという困難に直面しながらも、親友のアドバイスをきっかけに新たな道を切り開き、現在はトッププロたちを支える存在となりました。

また、2019年に淺井咲希選手のキャディとして初優勝を経験し、その後結婚という人生の転機も迎えています。

これからも、キャディとして、そして家族の支えとして、さらに活躍が期待されます。

-アスリート